2024/8/1

『ミツハシさんがいつでも泣けるようになるのがこのカウンセリングの目標です』と目の前のカウンセラーに言われた。端的に言うと、我慢することに慣れてしまった結果、日常の悩みや痛みを吐き出すことがかなり苦手になっているそうだ。臆病さもきっとここから来ているのだろう。「確かに誰かといる時は我慢をしてますけど、1人になってから泣くようにはしてますよ」と返す。するとカウンセラーは目を大きく開いて『それじゃ駄目なんです』と言う。『誰かといる時でも泣けるようにならないと、この治療は終わらないです。』と続けた。大きな課題を渡されてしまった。

 

 

 

抱え込むことが多過ぎて姿勢が悪くなった。目に見える姿勢もそうだし、物事に向き合う姿勢も。斜に構えていた筈が、斜めでいるための基準が見えなくなって、真っ当にも斜めにも生きれなくなった。本当に真っ直ぐなのは何なのか、もはや自分でもよくわからない。長生きするつもりはないけれど、もう少しこの生は続いていくそうなので、何となくをこれからもやってみようと思う。

 

 

 

何が書きたかったんだっけ?そうだ。この前QLTONEのクロガネさんと月がさの光さんと釣りに行ったんだけど、その浜辺の景色がとにかく美しかったことを書きたかったんだ。万が一また余計なことを考えてしまった時はあの街に行こう、と決めた。その時に景色を見ながら涙を流すようなそんなダサい奴に……なっていても別に良いか。

2024/7/29 長い

どこまで続ければいいんだろうか、と毎朝思う。人生というものは本当に苦しく吐き気のするほど悍ましいものだ。「大丈夫だ」と何度言い聞かせても大丈夫じゃない瞬間は訪れてしまうし、クソみたいな気持ちになる日に限ってやたらと天気が良かったりする。世界に見捨てられた気分になる。もちろん見捨てた(というか見限った)のは間違いなく俺の方からだけど。数年前、首吊りが上手く行かなかった時に「こんな最悪な気分をこれからも続けていかなきゃいけないのか」と感じたが、その頃と今では何にも変わらない現実がずっと地続きで続いている。恐ろしくなる。「辛い」というより「恐ろしい」。やたらと活きの良い希死念慮と共に今日も暮らしている。

2024/4/30 最悪

思えば幼少期に誕生日を家族に祝ってもらった時からそうだった。誕生日ケーキを前に大泣きするミツハシ少年に周りは首を傾げた。暗がりの中、年齢の数だけ浮かぶ蝋燭の火に忌々しさや漠然とした不安を感じて、幼心にも産まれ落ちたことが腹立たしかった。今思えばその頃から恥の多い生涯を送ってきたのだ、間違いなく。

 

 

薄暗さには年々拍車をかけて、黒で塗り潰した歴史は重みを増し、だけど中身はスカスカのままで、毎度のことながら最悪な気持ちになる。本当に最悪な気持ちになる。半年前に呼んだオズワルドの伊藤さんのエッセイに出てきた言葉を借りるのならば、"生きていける"状態ではある。ただ決して"生きている"訳ではなくて、"生きていたい"訳でもない。"死んでもいい"なぁとは良く思うが、"死ぬ"理由や行動に移す勇気が無いから、こんなに中途半端なまま26年という歳月を重ねてしまった。そしてその歳月はただただ最悪を更新しただけだった。だから君はいなくなったのか、といつかの誰かに問いかけることすらも無くなった。中途半端なままだ。

 

 

この前のライブの帰りの朝方、こんな体たらくは電車に乗る資格が無いと決めつけて、一人で歩いて帰った。勝田台の手前あたりで気がついたら路上で蹲っていて、号泣とも嗚咽とも嘔吐にもならない声のない叫びが身体中から出ているのに気がついた。脆かった。惨めだった。通りがかった車に心配をされてしまった。車から出てきた女性は『おばちゃんも親と縁切った時は本当に死んでやろうと思ったし、今でもそう思うことがあるよ。だけどここまできちんと生きてるんだよ。』と。『おばちゃんに出来ることは何かあるかい?』と聞かれたが、「ありがとう、あとごめんおばちゃん、ただ俺はきちんと帰らなきゃいけないんだ」と伝えて立ち上がった。そこから何メートルか歩いたけれど、途中で力尽きてまた座り込んでしまい、昼頃に電車に乗って家路に着いた。惨めだった。自分で決めたことすら守れていない、この年齢にもなって。

 

 

やはり上手くいかなくて、やはり独りで、やはり夜は惨めで、やはり朝は残酷で、それでもこの心臓は止まってくれそうになくて、止める気概も無くて、何度も鏡の前で自分の顔を赤くなるまで殴ることしかできなかった。助けてくれ!と声高々に言う勇気も無いし、人前ではうまく笑えも怒りも泣きも出来なかった。先日のカウンセリングでカウンセラーから「私の目標は三橋さんがうまく泣けるようになることなんですよね」と言われた。改めて(今更になって)気づいたが、泣きたい時に泣けることは強さだ。そういう意味ではめっぽう弱い。"そういう意味では"とか俺の場合はいらないか。かっこわら。

 

 

価値が無い、俺には何も無い、と何度も吐きだした。それすらも無くなった。なあ、俺よ。君は君で居てくれればそれでいいんだよ、と言われることを求めるな。愛されるとは一生思うな。優しさなんて求めるな。お前はずっと孤独だ。悲しいがそれはずっとだ。最悪は一生だ。最低も一生だ。自分の脚で立とう。何度目かの決意と失望だ。『おめでとう』は求めるな。ここまで生きたことと生きていくことを恥じろ。 燃えカスになった自分をただただ太字で書くための今日を続けていくんだ。その身体一つで太くあれ。だから朝になれば俺は仕事に行く。

 

 

恥の多い生涯を送ってきた。もう少しだけ送ってみる。

 

P.S.

これを書いたのは4/29だが、書いた後ボイトレに行き、その後はライブを観に行った。どちらも良い時間だった。きちんとやれてる、多分。

2024/3/26

明日の朝どうでも良くなるような会話も誰かに伝えたくなるような話も、少しずつ俺という人間を俺たらしめている要因になっていて。一つずつそういうあれこれを大事にして返していくような人生を送りたいし、出会ったからには返せるような人間でいたいし、そういうことを本気で思える瞬間が増えたら、自分の見える景色は意思を持って色づくのだろう。こんな雨の日でさえ。

2024/3/19

いつまでこの呼吸が続くのか考えてみたときに酷く動揺する。こんな気持ち、こんな日々、こんなやるせなさ、こんな寂しさがどこまでも続くのであれば、出来るだけ早く消えたい。出来るだけ人に迷惑をかけない方法で。明日も明後日も今日と同じならば、一週間後も一ヶ月後も一年後も同じならば、何のために俺は俺をやるのだろうか。例えば、がやっぱり、になる時果たして俺はそれを静かに受け入れるのだろうか。その時せめて穏やかな気持ちでいられるのだろうか。果たして。

2024/3/17 雑記

『居場所』や『安心』の類に対して誠実に向き合った時に、何度考えてもそれらを自分の内側に作るしか無い、と結論づいてしまった。この数週間で沢山のライブをやったり、人と話したり、または考えたりする中で、じんわりと疲弊した心身は未だに癒きらないままで。誰かに頼ることであったり、何かに縋ることであったり、を試してみたけれど、どうにもこうにも埋まらない空洞に風が吹き抜けて間抜けな音を立てるばかりで「なんだかなぁ」と溜め息を漏らした。そういえば昨日初めてシーシャを吸ってみて、まあこんな娯楽も悪くないと思うのと同時に、やはり冷えたビールが一番自分に合っている様な気もした。あれはあれで良い経験だった。帰って寝る前に好きなラジオを流していたけど、まだ自身の東京ドーム公演の話からラジオを始めるオードリーにほくそ笑んだりして、『お笑い』を生業とする人たちの存在がこの数年でかなり大きくなっているのを感じながら微睡の中に落ちていった。

 

 

そろそろ春が来るらしく、コートが必要じゃなくなってきているそうだし、ラジオを聴きながら、或いは読めてない本を持って、或いは缶ビールを片手に持ちながらでも良い、近くの公園に桜でも観に行きたい。俺の居場所は俺の内側に少しずつ出来ている。はず。

2024/2/13

音楽含めた芸術が『救い』で在るのではなく、その芸術を感じた人それぞれがどうにか折り合いをつけて『自分自身を救って』いるだけだと常々思う。しかし、俺が俺自身を救うのは到底出来そうもなく、現状は様々な芸術にただ縋っているだけである。他に縋るものが何も無かっただけだ。新しい曲をバンドでもアコでも作ってて、さあ歌詞をどうしよう?何を描こう?と考えた時に、言いたいことは案外無くて。勿論今まで伝えたことを同じようにただただ言っても良いし、自分にとって大切なことであるのならば寧ろその手法は取るべきだが。しかし、ただ縋りつくことしか出来ずギリギリで保っている今の俺が描くべきは、その幼さや拙さのままで"情けない"と"辛い"と"苦しい"を実直に太字で記すことだと感じている。何にせよバンドの新曲は良い具合に仕上がりそうな気はしてます。

 

https://youtu.be/vngPMNcse6k?si=8bba0OBgQKPcpgB_