2022/1/22

先日のブログ、本当なら一番最初に「遅れてすみません」を書くべきだったが、言い訳を並べてしまい謝罪の言葉を一番最後に書くあたり逃げ癖のある俺らしいと今になって思った。修正することも出来たが戒めのためにそのまま残しておく。失礼しました。

 

 

先日の練習中にどうしても言葉が上手くメロディにハマってこなくて頭を抱えている時に思い出したことがある。いつかのライブの精算で言われたこと。

「ミツハシは空白を言葉で埋めようとしすぎだよ」

と言われた。音楽を作る上で空白や余白を恐れてしまう部分はあるかもしれないなぁとその時には思った。

昨日の練習でもまさに空白を埋めようとしすぎなのかもしれない、と感じ頭を振り切って考えてみた。少し光明が見えた気がした。

 

 

忙しそう、とよく言われる。学生時代のアルバイトでも「仕事中は忙しそうにしていて、退勤後は次の予定に向けてそそくさと帰っていきますよね」と高校生のバイトに言われた。学生時代に入っていたサークルの人たちにも「いつも忙しそうにしていて飲みに誘えない」と口を尖らせて言われた。今の職場でも「仕事に追われているねえ」と上司から笑われた。今だって「サラリーマンやりながらライブ活動をやってて忙しそう」と言われる。多分俺の要領の悪さや、人からの頼み事を断れなさや、予定の組み方の下手糞さや、捨てていいものを捨てきれないところが結果的にそうしているのだと思う。望んでこの状態になっているわけではないのだ。事実もっと沢山のものを捨てたら生きやすくなるし、一つに向き合えるのだろう。

 

 

しかし、常に忙しい状態にいたからこそ、沢山悩むことが出来たし出会えた人やものもあった。特にサラリーマンやりながら音楽をやる奇妙な生活を続けていなきゃ出逢えなかった人や景色がある。だから、真っ向から今までの自分を否定はしない。どれだけ「忙しそう」と言われても。

 

 

それに俺が「忙しそう」にしていても何とかやれている(何とかできた)のは間違いなく周りの人たちのお陰でもある。仕事後にライブをさせてくれたり、ご飯を作って洗濯をしてくれる母親がいたり、俺の「これやりたい」に多忙な中で予定を合わせて付き合ってくれる友達や先輩や後輩がいるからこそだ。俺の不器用さと周りの許容によって日々生かされている、と改めて感じている。

 

 

とはいえ余白を無くして体を壊すのはもう御免だ。もっと余白が欲しい。生活にも歌にも。

 

 

そんなことを考えながら帰った昨日の24:00すぎ。帰り道、普段なら賑やかなはずの行きつけのバーの前、無感情に下ろされたシャッターと「営業時間短縮のお知らせ」の張り紙が目に入る。鳩尾が痛くなった。金曜の24:00。歩いている人はまばらで、電気が消えた飲み屋街が息を潜めていた。やっぱり余白なんていらねえよ。明日には1万人超すらしいぜ。

余白だらけなのは考えものな気もした。