結局一睡も出来ず、出社。そのままの足で散らかったキャリーケース片手に新幹線に潜り込んだ。あと30分程度で秋田に着く。さっきまで7/2のSound Stream sakuraの月がさとHIGH BONE MUSCLEと白紙のバイエルズのライブを見ていた(それについては本日分の日記で触れるつもり)。少しずつアルコールが抜けてきたので日記を書く。久々に長くなってしまうかもしれない。ただ、それくらい昨日は未来の話が出来たと思う。
演者が多い都合で佐倉の演者は基本的に直前リハになっていた。入り時間が遅かった分ここ最近の疲れが一気に取れるくらいぐっすりと眠れた。起床したのは大体10:00頃だったと思う。「そうか、今日ライブだ」と思い、自分が今いるのが実家のベッドであることを再認識する。不思議だ。秋田で暮らしつつ、千葉でライブをする奇妙な生活が始まって1ヶ月半くらいが経った。秋田にいる自分と千葉にいる自分がどうも別人のように思ってしまう。仕事モードの自分と千葉でやりたいことをやって羽を伸ばしている自分は別なのだろう。そう考えると新幹線に乗る約3.5時間はその役割を入れ替えるような時間の様にも思えた。Twitterを見てから体を起こし、コップに水を入れて飲み干した。今日はライブだ。
キャリーケースの中を整理していたらいつの間にか時間が過ぎていて、気がつけば家を出る時間。慌ただしくサンストへ向かった。駅までの片道20分が暑過ぎて汗だくになった。しかし、青々とした公園の緑や、公園で飛び交うボールを見ていたら、何となく「夏だなぁ」なんて思ってしまって、そんな憂鬱な駅への道も少しだけ好きになれた。駅に着くまでに大きく体力を奪われたが。
サンストに入ると思った以上に沢山の演者がいた。楽屋もあそこまでごった返しているのは久々だった。2020年から猛威を振うアレの存在が無くなったかの様に錯覚した。そんなことを頭の端で考えながら、仙台メンツも含めて挨拶をしていたらいつの間にかミーティングの時間になっていた。演者で円になるのは毎度のことだが、人数が多いお陰でその円がいつもよりもはっきりと形を持って現れていた。あの場にいた全員が自分たちでこの交歓イベントを作り上げようという気概を持って立っていた。いい日にならない訳が無かった。
ミーティングも済ませたらすぐにライブスタート。千葉の演者も仙台の演者も個性的で真っ直ぐにステージに向き合っていた。自分に無いもの、逆に自分が持っているもの、自分の武器を考えながら他の演者のライブを見た。仙台に根付いた音楽と佐倉の音楽とは親和性が高かった。いや、音楽というよりもライブの親和性だろうか。発見があって、そして自分も見直した一日だった。
俺らの出番は3番手。カイくんとマッドネスマンボウのDがサポートだった。カイくんは都内から電車を乗り継いできてくれて、D に至っては昼間にマンボウで一本ライブを終えてから駆けつけてくれた。俺は本当に人に愛されてるし恵まれている。秋田で100%の自分がやりたいことをやれない現在、月一でライブをする時間が俺にとっては大切で、その瞬間をサポートしてくれることが心の底から嬉しかった。カイくんに至っては俺の大学の後輩であって、千葉の人でも、佐倉に関係があるわけでもない。俺はものすごく恵まれている。
ライブは25分すぐに終わってしまった。どれだけ楽しみにしていても持ち時間は一瞬で過ぎる。この3人でステージに立てて良かったと思えるステージだった。終演後に白幡さんと精算で具体的な話をした。今後どうしていけばもっと自分達が良いライブをできるようになるのか。それを曲の側面やセットリストの側面から教えてもらった。(詳しいことは公には出来ないがすごく良い時間だった。)RIPPLEの店長の堀越さんからも率直な意見をもらえた。自分が今まで考えていなかったことを指摘してくれた。完全に確信を突かれた。やはり、ライブハウスで働く人たちには一生敵わない。
その後は打ち上げ。悲しいかな、俺は健康診断が控えていたので水しか飲めなかった。堀越さんがわざとらしく目の前でポテチを食うのがただただ辛かった。くだらない話も真面目な話も沢山した。俺はひたすらに水を飲んだ。眠かったが楽しい時間になった。
最終的にはすき家へ行き着いたが、そこでも水しか飲まなかった。しかし、すごく良い約束をすることが出来た。近い将来に発信する。
帰りはバラバラで漫画喫茶に行く組と自力で帰れる組で別れた。俺はどちらにも属さず、レンタル自転車を40分強走らせて家まで急いだ。何とか親が起きる前に家でシャワーを浴びることができた。いつの間にか7/4が始まっていた。
No border。境界線を決めるのはいつだって誰かの都合だ。車で4時間はかかるライブハウスと紛れもなく手を繋げた日になった。誰かが勝手に引いた県境を超えて再会できるのを既に楽しみにしている。いつかまた。