街で暴れちゃう奴の気持ちがわかる、というオードリーの若林さんの言葉に何度も勇気を貰った。こんなに息苦しい世の中で、道を外れずに涼しい顔で歩いている方がよっぽど狂っているとつくづく思う。道を外れないことが「普通」だから本当にタチが悪い。きっと平成はそうやって道を外れずに("平静"に)歩けた人たちが、高層ビルの高さを日々高くして作り上げた時代だった。都内でポスティングのアルバイトをしていたとき、見上げるだけで目眩がしそうなビルが何本も空に向かって伸びていたのをよく覚えている。そして、そのビル郡を見下ろすようにスカイツリーが立っていたのも覚えている。いつだって上には上がいるのだ。非情だ。
道を外れた人はどこかしらに逃げ場所を見つけた。俺が産声を上げて16年で見つけた逃げ場所は音楽やライブで、若林さんにとってはお笑いだった。彼女にとっては絵だったし、その隣の彼にとってはインターネットだった。誰もが逃げ場所や自由に呼吸ができる居場所があって、そこで水を得た魚のように"自分"でいられた。一度外に出てしまえば息苦しい世の中。金曜夜にはアルコールで輪郭を暈さないとやっていられないのも、言ってしまえばそういうことなのだろう。昭和から続くオトナの宿命。息苦しく感じる人が多いこの時代を、息苦しくしたのは誰なのだろう。一体誰に戦わされているのだろう。
逃げ場所に依存したら大抵良いことは無くて、「それしかない」は危険だ。街で暴れてしまった彼のしたことは決して許されることではない。でも事件当時、小学生だった俺は何度ニュースを見ても心の底から彼を否定できなかった。小学校の担任の先生が彼が事件を起こすまでを帰りの会で説明してくれた。先生が丁寧に説明してくれている時、クラスの誰もが一言も喋らずに聴いていた。自分達が考えなくてはいけないことが何か、言葉にならずとも共有できていたのだろう。
本当に情けないことだが、俺は女性にフラれて立教大学の校門に入ってすぐの道で泣き崩れて動けなくなったことがある。通りすぎる人の視線の痛さよりも、その時の自分の胸の痛みの方が強かった。手を差し伸べてくれる人は誰もいなかった。当たり前だ。一番人通りが多いところで鼻水を垂らして泣き崩れている奴なんか迷惑でしかない。彼らを否定する資格は到底ない。視線を感じながら千葉の先輩に電話をした。もしあの時先輩が電話に出てくれなかったら、と今でも思う。ナイフを自分に向けていたのかもしれない。もし電話をかけてくれる人が彼にいたら、と同時に思う。ナイフを誰かに向けるのを躊躇ったかもしれない。計り知れない痛みや辛さに触れてくれる存在があったら何かが変わっていたのかもしれない。
変えていきたいのは、何なのだろうか。勝手な解釈、甘い考え、傲慢、わかっていたけれど今日は書きたかった。2,3時間は書くか迷った。どうしても他人事にできなかった。