2022/9/8 from 1997

Sound Stream sakuraでのライブ。Brown Basketのツアー千葉編。サポートメンバーに体調不良者が出てしまったためソロでの出演になった。かつて猛威を振るっていた頃に比べれば、随分と穏やかになってきた(気がする)昨今だが、未だに感染や自粛の影は常に周りに落ちているのだなと実感。サポートしてくれる予定だった彼のためにも、京都から遥々来てくれるBrown Basketのためにも、やるべきことはやろうと決めていた。

 

 

9/8は事前に聞いていた通り同年代で固められていた一日だった。どうしても音楽に携わる人が25歳にもなれば少しずつ減ってくる。辞める事情、休む事情はどれも"しょうがない"ものばかりで、いつか誰かに言われた『大人になればなるほど、自分でコントロールできないものが増えてくる』が心臓の奥で重くのしかかってくるのをひしひしと感じる。ミュージシャンは夢を与える仕事だけれど、その裏側にどうしようもなく夢を打ち砕かれるような事情や生活や決断がある。それらを乗り越えたり、耐えたり、或いは逃げたりすることで25歳まで生き残ってきた仲間に会えて純粋に嬉しい一日だった。こんな一日に呼んでくれた白幡さんに感謝。

 

 

弾き語りのライブは座って演奏した。普段は立って演奏するが、いつものアコギが秋田に置き去りになっていたので、かつて使っていたピックアップのついていないアコギでやった。中学生のころに親に買ってもらった安いアコギは弦を変えるだけで俺が求めている音を鳴らしてくれた。この非常事態に少しだけ安心が得られた。座って演奏すると目線がちょうどお客さんと同じくらいになった。声もギターもマイクで拾ってはいたものの、どこかそれに頼らないで演奏を投げているようだった。それもあって自分の名刺を一人一人に目を合わせて渡すような、そんなライブになった。秋田で知らない人しかいない環境でライブを重ねてきた経験が生きた。

 

 

kalmiaもAdlerもマッドネスマンボウもBrown Basketも最高だった。刺激的なライブをたくさん見たし、まさに滾るような瞬間が散りばめられていた。こんな日だからこそもっと動員できれば、と反省。これからも積み重ねていくしか無い。打ち上げもギリギリまで残った。最後のラーメンには参加できなかったが、友達が出来た一日だった。話すのは得意では無いし、人見知りは治らないだろうし、不器用なのも一生続くが、同じステージに立ったからにはどこか地続きでわかりあえる気がするのだ(伝わるだろうか)。ありがとう、ときっちり伝えて帰宅。胃に残ったアルコールでどこまでも血が滾るような夜。辞められない理由をまたもらった。