2022/10/19

希死念慮も喪失感も孤独感も全て「ただそこに在るもの」と捉えている。別にそれに飲み込まれることもないし、それを遠ざける必要もない。ただ、そこに在る。そう捉えるだけで少し客観的に見れるようになった。生きる、とか、死ぬとかも言ってしまえばそうなのかもしれない。あまり大袈裟ではないのかもしれない。少し楽になった。

 

 

でも何か失った気も同時にしている。昨晩は排水溝に吐いた粘り気のある唾がなかなか流れていかないのをぼんやりと見つめていた。