時間が経っても癒えない傷や痛みや悩みが多くなった。それらが完全に治らないことも増えた。「悩めるのは体力があるからだ」とか「悩める時間があるのが羨ましい」とはよく言うけれど、どんな生活をしていても、誰もが皆何かに悩んでいて、何かを抱えていて、何かを不安に感じているものだと思う。俺も。或いはこれを読んでいる貴方も。もしくは名前の知らない誰かも。
とにかくここ最近は傷が傷跡になる前に見なかったふりをして、やり過ごすことが増えた。そんな年代になったとも言えるし、何かを諦めてしまったとも言える。日々ため息や酒や散歩、もしくはそれらの同時進行でうまくやり過ごしている。特にここ一、二週間は多々ありすぎて、ずっと体調が参ってしまって本当に困っているが。
相変わらずバンドばかりしている。弊バンド灯人はこの数ヶ月の間にサンストとの共同企画と自主企画を一本ずつ、その間にsonicという曲をリリースした。精力的に活動している、のだと思う。もっとやりたいし、もっとやらなくてはいけないけど。「灯人」ないしは「ミツハシヒロキ」はずっと自分の経験や思想を言葉や音にして届けている。良く言えば「真っ直ぐ」なのだろうし、悪く言えば「愚直」「不器用」「ダサい」のかもしれないそれに日夜時間を費やしている。
これは謙遜ではなくずっと思っているけれど、俺は人として間違いなく何かが欠けていて、誰かが1の労力でこなせることを10以上は労力をかけないとこなせない奴だ。本当に不便だけど、その10の労力でこなしたり、悩んだり、試行錯誤した結果や過程が楽曲やライブになっている。「この言葉やライブが誰かの何かになれば」と思うし言うけれど、結局音楽や芸術は突き詰めて考えればただのエゴの結晶で。間違いなく俺の作ってきたそれらもエゴの結晶だった。それで良いと思っていたし、それで良いのか?とも感じていた。大きな矛盾だ。
この音楽がもっと評価されなきゃいけないし、そのために足りないものはもっと埋めたいと今は思う。これは考え方が「変わった」というよりも「増えた」感覚に近いのだが、そのためにライブや楽曲がもっと誰かの生活の端で鳴ったり想起させられるものでありたいとも考えるようになった。そして、今まで楽曲を書いている時は「日記」の感覚だったが、それらは「手紙」としても間違いなく機能しているものだ、と気がついた。「記録」ではなく「日記」の時点で何かしらの思いが詰められているものだった。あくまで自分のために書いていたそれらを。誰かに向けた「手紙」にもなりうるそれらを。どう渡すのか、どう受け取ってもらいたいか、どのように刺したいか、をこの一年で沢山考えた。考えるきっかけは昨年のツアーを回る中で知らない土地で音楽を鳴らしていく中で感じたものだったり、CRYAMYの野音 ワンマンを見に行って感じたものだった(CRYAMYの話は今度またきちんと書きたい)。
そして今年「Hit the horn」と称して長く続く連続企画を打つことを決めた。「クラク ションを鳴らせ」という意味のタイトルは大好きなSHANK の"Departure"のサビから拝借した。
VIDEO youtu.be
灯人の、そして俺のホームSound Stream sakuraは都心までは電車で行けるが、やはり千葉県佐倉市 というローカルな街にあるライブハウスだ。この街で鳴る俺らの音楽がクラク ションのように響いて、遠い誰かに届いてほしい思いでこのタイトルをつけた。そのクラク ションは警鐘でもあるし、朗報でもあるし、願いでもあった。ここまで開催した2回の間でもバンドは間違いなく進歩してライブは洗練されてきた。ずっと共演したかったバンドやもっと仲間になりたいバンドをお呼びすることも出来て、そこに頼れる地元の仲間がいて間違いない一日をそれぞれ作れた。この間でくさのねフェスへの出演もやっと決めた。少しずつ灯人やミツハシヒロキの周りに仲間や期待をしてくれる誰かが増えてきた。良い傾向だ。
ここまで大きな事件は無くバンドをやってこれた裏で、暮らしの中では一人で痛みに耐えているばかりだった。それを音楽や言葉にするつもりで、やってきていたけど少しガス切れではあった。一人で涙を流しながら家路についた日も多くあった。特に4月後半~5月中旬あたりは、周りにどう見えていたかはわからないが、疲弊し切った心は行く先を失っていた。実はかなりギリギリでライブやイベントに賭けていた側面があった。
Hit the horn Vol.2の時にいつも一緒に飲んでくれるバーの常連の方々が初めてライブに来てくれた。ライブハウスにライブを観にくるのは久しぶりだ、と伝えてくれた男女がいたのだが、二人は一番手からライブを観てくれていた。いろんなバンドの感想を都度教えてくれたし、俺が好きなバンド達に敬意を持って観てくれたのがすごく嬉しかった。企画を組んでバンドを呼ぶときは、仲の良い友達を誰かに紹介するような気持ちになるのだが、ライブハウスに慣れていない二人が、初めて見るバンド達を快く受け入れてくれたのがすごく嬉しかった。
帰り際に二人は「灯人よかった。すごく元気をもらったわ、ありがとう!」とも言ってくれた。感謝を言わなきゃいけないのは俺の方なのに。
俺は前述の通り、まるで日記のように作ってきたそれらの楽曲を、ライブで手紙にしていくのに試行錯誤していて、全力で投げる言葉や音はライブハウスの暗闇に吸い込まれていくばかりだった。果たして当たっているのか、刺さっているのかわからないその行為を続けていくには心はすり減っていて、でもその気持ちも状況も全て本物だから、「きっといつかは誰か分かってくれる」と信じて沢山を曝け出して投げていた。恐らくだが、ここまでもきっと誰かに当たってはいたのだとは思う。でもそれをきちんと確認できたことは無かった。この日彼らの言葉を聞いた時に、暗闇に投げ続けていたそれらが初めて音を立てて当たったような気がして、やっと今までが間違いでは無かったと認めることが出来た。
クラク ションはちゃんと聞こえていたのだ。
今までの俺だったら、そんな言葉すらも「お世辞だ」と吐き捨てていただろうけれど、そんなことは思いたくなかった。その言葉を何の歪みもなく真っ直ぐ受け取れる自分でいたかった。そう思わせてくれたのは、俺がこの一年やってきたことや出会ってきたもの全てからだった。腐すことよりも純粋に受け取る自分の方を選択したい。それは信じてくれた誰かのためでもあり、共に歩いてくれた仲間のためでもあり、協力してくれる環境のためでもある。そして、そういう背中を見せてくれた憧れの存在や先輩や仲間のようになりたいからでもある。この思いはある種の覚悟でもある。歯を食いしばってでも認めたい覚悟は、やはりライブハウスから始まっていた。
相変わらず血の流れない重傷を多く負って、血が流れない代わりに涙が流れる日も多い。やっぱり俺は強くないみたいだ。ただ、その弱さで拾える誰かの思いがあるのならば、その傲慢を突き通すべきなのだろう。
きっとそのために唄やギターがあるはずだ。