2023/9/2 ミニマム

自分の部屋にあったテレビと旧式のWindows、そしてヘアアイロンをついに売りに出した。自分の手の届く範囲がかなり狭いこと、そして抱えられる量の少なさに気がついたとき、とにかく物を減らすことにした。できるだけ少なく、研ぎ澄ませる。最小単位で最高速の風を起こす。3ピースバンドという選択をしているのは、きっとミニマムにしていくことが性に合っているが故のものだろう。新しい曲を明日演奏する。

2023/8/29 旗を振る

いつかのあの子を何度も思い出す。ハッピーエンドの映画を観たとき、料理が美味しい居酒屋を見つけたとき、仕事でムカつくことがあったとき、良いライブが出来たとき、そして良いライブが出来なかったとき。彼女ならなんて言うだろうか?夜中目を覚ましてシャワーを浴びた後、鏡の前で思う。彼女ならなんて言うだろうか?この不摂生な男は今の彼女にどう映るのだろうか?ため息と共に電気を消す。AM4:05。気がつけばもう朝が近づいている。「こんなはずじゃなかった」夜も必ず朝に変わる。もう行かなくちゃいけないのだな、と天井を睨む俺に陽は容赦なく差し込む。

 


自主企画echoを終えてからもう4ヶ月が経とうとしている。沢山の再会と待ち望んだ景色は灯人を間違いなく新しいステージまで運んでくれた。遠くから来てくれた友達、全然連絡できていなかったのにチェックしてくれていた後輩、いつもデカい背中を見せてくれる先輩、その他にも沢山の人々に囲まれて間違いない一日を作った。これは灯人の大きな自信に繋がり、そしてその自信は紛れもなく俺たちの周りにいる人達がくれたものだった。返すべき思いを沢山もらった。今後も出来るだけ大切に返していくのみだ。改めて、

 

Sound Stream sakura

unskilled

カタルカルタ

アルライト

月がさ

お客さん

会場に来れずとも応援してくれた沢山の人々

 

に感謝です。
本当にありがとうございました。遅くなってしまい申し訳ないです。

あの日打ち上げ終わりに船橋で機材を預けた帰り。1人船橋駅のホームに立った瞬間に大きな疲労感に襲われた。胃の奥に残ったアルコールの重みも相まってすごく眠かった。しかし、その微睡の中で2023年5月4日に一つの旗を立てた確信を噛み締めた。次はより大きな旗を立てねばいけない、と身体に鞭を打ち帰路に就いた。

 


そこから同じような夜を何度か超えた。5月4日に取り除いたはずの悪い種は生活の中でまた芽を出した。手帳はスケジュールと駄文ですぐに埋まった。手帳の端に彼女の名前を書いては消してまた書いた。彼女の名前の周りを思い返せば恥ずかしくなるような文章で埋めた。歌詞にも日記にも恋文にもならないその文章を書いている時間が一番穏やかで優しい気持ちになった。

 

 

ペン先をすり減らすのと同じように日々心は擦り切れて、擦り傷から悪い種が続々と芽を出した。繰り返しの行く先は駅前の居酒屋とバーのカウンターだった。中ジョッキを片手にぼんやりと口を開ける平日。小一時間は虚空を眺めていないと家に入れなくなっていた。【振り返っても戻れないサンデイ】と歌詞を書いた自分を呪った。自分の中にある緩やかな毒はひどく生活を蝕んでいた。そして、いつかの仕事中。自分の中で何かが崩れる音がして、目の前が暗転するかのような錯覚がした。「あ、ヤバい」と思わず呟いた。漠然と"限界"の二文字が頭に浮かぶ。正に"限界"だった。

 

 

初めての心療内科では何個かの病名を告げられた。病名を聞いても"そうだろうな"以外の感想は無かった。『生きてて辛くないですか?』と聞かれたが「生きることは辛いことだと思ってます」と答える始末だった。処方された錠剤は効いているのかわからなかった。そういえば同じ病気を抱えていた彼女も『薬が効かない』とよくぼやいていた。奇しくも同じ病気を貰ってしまったなぁと苦笑し手帳を開く。手帳の端に書いた彼女の名前はインクが落ちてもう読めなくなっていた。確実に時は進んでいる。

 

 

灯人で月に2~3本のペースでライブをやる傍ら、ライブを何度か見に行った。見に行ったライブはざわついた心を宥めるようなライブばかりだった!特に秩父までドラゴンさんと行ったLOSTAGEのツアー初日、音とビールに酔いしれたCRAFTROCK FESTIVAL、黒金さんとおーしゃんさんと行ったSATANICの3つは本当に格別だった。これらについては書く機会があったらまた詳しく書くが、尊敬するバンドの面々が立てた旗は目の前で力強く靡いていた。今後の灯人がどんな風に戦っていくのか、また秋葉原の小さなスタジオと日々のライブハウスから想像していくきっかけになった。

 

 

いつかのあの子を何度も思い出す。街ですれ違い様に香った香水の匂いに、わざわざ振り返ることも無い。振り返った先に彼女がいないこと、思い出す色香は過去のものであること、そして、どこかの彼女にも見えるくらい大きな旗を立てなくてはいけないことにはもう気がついていた。息を吸って吐く現在地は秋葉原。今夜も灯人のスタジオへ。

2023/4/14 近況、メンバー加入、scribble、5/4のイベントEchoのこと

前の記事から今日までの間に冬を超えた。ヒートテックをクローゼットの奥底にしまって、毛布を2枚から1枚に減らした。2022年はいつの間にか2023年に変わっていた。千葉に戻ってからも仕事は多忙を極めて、いつも同じような仕事を抱え、頭を抱え、挙げ句の果てには膝を抱えているような仕末だった。灯人は何度かのライブをして、そのどれかは出来が良かったし、別のどれかは出来が悪かった。レコーディングも経験した。スタジオミンクスの青木さんは音と曲と人に実直に寄り添う方だったから良いレコーディングになった。どんなライブも初のレコーディングも反省は尽きなかったがどこにも後悔は無かった。何にせよ歩みを進められているような日々ではあった。寒さを感じる暇が無いくらい毎日が慌ただしく、「朝から夜」と「夜から朝」とを忙しなく繰り返した。そしてその隙間で電源を切ったかの様に眠った。短い冬だった。

 

 

2/5に灯人は初ライブから1周年を迎えた。

同じタイミングでBaのカイ君が加入の発表をした。昨年の10月には決まっていたが俺の出張でアー写が撮れなかった事もあり発表が延びに延びていた。大学を卒業して以来、久々に彼と再会した2022年2月27日。『バンドを1人で始めてみようと思っているんです』と漏らした彼の気持ちを逃したくなくて、「灯人でベースを弾いてみないか」と声をかけた。

俺の知っている大学時代の彼はギターを弾いているか、デスボイスを吐いているかの2択だったから、どうなることか分からなかった。しかし実は元からベース志望だったらしく、人前では弾かないものの家でベースは触っていたようだ。俺の心配もよそに初スタジオから難なくベースを弾いていた。

サポートドラマーも共通の知り合いはいなかったが、彼の穏やかな性格故にどのドラマーとも打ち砕けた。俺以外に友達や先輩もがいない中で心細くないか、かなり気にしていたけれど杞憂だった様だ。最近はドラゴンさんと戯れているのを見るし、彼なりの角度で灯人を考えてくれている。同じ目線で物事を考えられるメンバーが出来て本当に良かった。

 

 

3/31には1st singleのscribbleをリリースした。先にも書いた通り、レコーディングはスタジオミンクスにて行った。初めてバンドでレコーディングをしたので反省もあったが"面白い!"も多くあった。自分がイメージした風景、温度、質感を下から積み上げていく。その作業が何よりも尊い時間になった。「レコーディングって楽しいでしょー」と朗らかに青木さんが笑っているシーンを最近もよく思い出す。

バンドの空気や勢いを閉じ込めたかったので土台となるドラムとベースとバッキングギターは同時に録った。3ピース故に普段は演奏しないパートがあるのだが、それら追加される度に自分のイメージがはっきりとした輪郭を持って形になるのが本当に嬉しかった。

ギターの音の部分ではかなりドラゴンさんにお世話になった。ほとんどのギターをドラゴンさんのテレキャスで録り、リードギターはドラゴンさんのmesaのアンプで録った。ドラゴンさんの持ち込み機材がドラムよりギター関連が増えたことだけ申し訳なかったが、本当に借りてよかった。(今回の音源では使っていないが実は一時期ファズも借りていた)

最終的に出来た音源を青木さんと灯人2人とドラゴンさんの4人で聞いていたとき、ドラゴンさんが「良い曲だね」と呟いた時にはガッツポーズが出そうだった!小さな部屋から、一人の小さな人間の劣等や後悔から、曲が生まれて。それが一つの音源になるのがこんなに尊いとは。次回にはもっと良い音源を作りたい、と思ってしまうくらいには勉強になった。

 

 

scribbleというタイトルは走り書きという意味だ。正直な話、俺は音楽で世界や誰かの人生を"変えられる"とも"変えたい"とも思っていない。もちろん"救いたい"とも(今は)思ってない。そんな大それたことを言う勇気無いし、その先の責任も負えないから。紛れもなく俺は自分が感じたもの、見たもの、聞いたもの、そしてそこから生まれたものからしか曲を書けない。『誰のため?』と聞かれれば「自分のため!」になってしまう。しかし「俺こう思うんだよね」や「こうであって欲しい!」や「俺はこうだけど貴方はどうなの?」を言いたい(尋ねたい)気持ちも在って。それが詞や音になってきたし、してきたつもりだ。決してやり方としては美しくないし現代的ではないが、絶対に嘘や偽りは無い。この愚直な走り書きがその体温とスピードを落とさぬまま、どこまでも飛んでいくことを願っている。

 

◼️1st single "scribble"
各種サブスク


https://linkcloud.mu/162940a5

 

Apple Music


https://music.apple.com/jp/album/scribble-single/1678023670

 

自主企画Echoが開催する5/4まであと2週間を切った。ライブを詰め込んで、終わる度に反省・改善・練習……を繰り返している。仕事も多忙なので時間が無い……がそうでは無く使い方の問題かもしれない、とかを頭の端で考えつつ繰り返している。そんな日々の隙間を縫うように、あれやこれやと企画に向けた発信・声かけ・ビラ配りをしている。その度に『観に行くよ』とか『気になってた』とか『頑張れ!』と声をかけてくれる方々に会えたり。こんな性格なのでその言葉に対して「ありがとうございます」と辿々しく頭を下げることしか出来ないが、感謝の気持ち以外はそこに無かった。きっかけは何であったとしても誰かに音楽やイベントの詳細が渡ること、そしてそれらがちゃんと受け取ってもらえることがとても嬉しかった。奥の見えない暗闇に向かって言葉を投げていた感覚があったけれども、耳を澄ませばちゃんと言葉が当たった音が聞こえてきていた。あとは投げ方がもう少し上手ければきっと遠くまで届くはずだ。

 

 

5/4は俺がこれまでの人生で関わった人、そしてカイくんが関わってきた人が出来るだけ多くライブハウスに集まって。灯人と月がさとunskilledとカタルカルタとアルライトが出した音が、集まった人・ライブハウス・演者同士で共鳴して一つの強固な輪になってほしくて"Echo"と名付けた。俺らの信じている先輩と後輩と友達は絶対に良いライブをするはずで、その音や景色が心臓のど真ん中に残ってくれたら嬉しい。そして灯人はそれを超えていくようなライブを届けたい。その上で灯人は一年でどこまで来たのか、そしてここから先の灯人はどういう姿勢でやっていくのかを見せて行けたらと考えている。Howeverやソロの時代を知る人には今の俺を観て驚いて欲しいし、久々に乾杯出来る仲間が居ればそれも最高だ。再会が多い1日にもしたい。5/4まであと少し。興味を持っている人は声をかけて欲しい。

 

 

都心から遠いライブハウス。間違いなく最高は鳴っている。

これからの灯人を5/4に目撃してください。

チケット予約と取り置きを待ってます。

 

◾️連絡先・各種SNS

https://linktr.ee/hibito_official

 

◾️公演詳細

5/4(Thu)Sound Stream sakura

灯人 1st single release party「Echo」

 

灯人
月がさ
unskilled
カタルカルタ
アルライト

op / st 1700/1730

-来場チケット-adv ¥2500


【出演者手売り/Livepocket】
https://t.livepocket.jp/e/2yrwa

 

-配信チケット-adv ¥2500
ツイキャスプレミア配信】
https://twitcasting.tv/sound_sakura/shopcart/217272

 

※来場者特典 配信アーカイブ¥1000で販売(終演後)

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2022/11/9-2022/12/19 消えない

雪が何度か降り積もって溶けるのを見た。結露した窓に掌を当てると手形が残ってそこから水滴がゆっくりと伝った。千葉で生まれ育った男にとっては東北の雪は厄介なものだった。スニーカーは外に出る度にぐっしょりと濡れて、足先が凍えているのが常だった。夏には青々としていた木々に雪が積もって、前の車が作った轍がどこまでも続いていくのを見た。ゆるり、ゆるりと時間は過ぎた。

 

 

この2ヶ月弱の間で秋田はすっかり雪国へと姿を変えていた。その間に俺は何をしていたかというと、秋田出張の延長が決まったり、灯人の2022年最後のライブを早々に終えたり、祖父のことを綴ったブログの記事が冊子に載せられて多くの人の手に渡ったりした。仕事はとてもルーティンワークと呼べるものではなくなっていて、毎日新しい問題が降りかかったり、測定結果に不具合が見つかったり、1人じゃ抱えきれない量のデータをまとめることになったりした。土日や平日の帰宅後にパソコンを開くことが増えた。ずるり、ずるりと薄暗い沼に沈んでいく様に感じた。出張の延長が決まった日は最悪な気分で、とても物事を冷静に考えられる状況に無かった。あの日は仕事をすぐに切り上げて1人で『トップガン マーヴェリック』を鑑賞した。良い映画だった。お陰様で数時間前に決まった秋田生活の延長を冷静に受け止めることが出来た。次の日に灯人の2022年最後のライブだったが引き摺らずに演奏できた(気がする)。ドラゴンさんには「追い詰められてる人の顔をしてる」と楽屋で言われたが。

 

 

12月。秋田に戻って一週間後くらいに最初の雪が降った。吹雪は部屋の外を真っ白に染めて、見慣れた景色は急激に色を失いモノクロになった。昨晩車に降り積もった雪を落とす作業がモーニングルーティンに加えられた。洗礼を受けていた。千葉ではとても出来ない経験だった。豪雪地帯で暮らす方々は関東の人々に比べたらよっぽどタフなのではないだろうか?

 

 

金曜と土曜は大体決まったお店で過ごした。ライブも何本かやった。ライブをする度にフライヤーが名も知らぬ誰かの手に渡り、CDが売れて、SNSのフォロワーが増えた。顔見知りの人もかなり増えた。出張が決まった時や延長が決まった時はかなり落ち込んでいたが、毎週末お店に行く度に凍えた心は少しずつ溶かされていった。

秋田で出来た人間関係は俺にとって本当に心地が良かった。

 

 

どうしてこんなにも心地良かったのだろうか?

きっとこの街の人には嘘が無いからだ。

 

 

秋田の人には本当に良くしてもらった。

お店で頻繁に会う方がライブの時に俺の好物の生姜焼きを作ってくれたり、お店のママがお弁当やカレーを帰りに渡してくれたり、「必ず千葉に会いに行く」と飲みに行く度に話しかけられたり……とても数えきれない。その俺に向けられた愛情には棘やささくれは一つもなかった。秋田を発つ一週間前、朝3時頃に「ヒロキが千葉に帰るのが本当に寂しい」とおしぼりを目に当てる姿を見た時。言葉や表情の裏ばかりを窺って、傷つかない様に受け身を取る体制ばかり取っていた自分を心底恥ずかしく感じた。純粋な言葉は取り繕っていた自分の心をノックした。

 

 

昔から傷つくことは多かった。今でもそれは変わらない。仕事で自分の不甲斐なさや甘さに傷つき。ライブハウスであまり良いライブが出来ずに傷つき。SNSで華やかな投稿をしている誰かと比べて傷つき。その裏返しで不貞腐れて人や物事を斜に構えて見る癖がついた。そうでもしないと自分が保てなかった。どこかで取り繕ってしまう自分をぶら下げていた。そんな状態では本当の言葉もブロックしてしまう。いつからかずっと"何か足らない"を抱えていて、その"何か"に気がつかないふりをしていた。

 

 

俺の尊敬する方はその"何か"を"血の通った人間関係"と著書で表現していた。その答えは正しいと思う。まさに"血の通った人間関係"が俺と秋田の人の間には流れていた。しかし俺が秋田の方に教えられたのは、いただいたのは、"血の通った人間関係"だけではない。

 

 

"絶対に安全な居場所"だった。

 

 

安全である、ことは心地良くどこまでも幸せでいられた。関東に住んでいた25年と8ヶ月が嘘のようだった。気を大きく使うこともなく、表情の裏を読むこともなく、ストレートに愛情を感じていた。きっとミツハシヒロキではなく、三橋広希としてお店にいたとしてもこの街の人は愛してくれただろう。本音を言ってしまえば、転職して一生この街に住むことすら頭に過った。

 

 

ただ。

今の俺を形成したのは。

今の俺が俺たらしめるのは"絶対に安全ではない居場所"だった。

 

 

傷ついたり、悔しかったり、恥ずかしかったりを繰り返していたからこそ辿り着いた現在がある。特に音楽家としてはその痛みを武器にもしている。最初は"木の棒"くらい頼りなかったそれも、今では鞘のついた"鉄の剣"くらいには強くなっているはずだ。そうやって武器をアップデート出来たのは【逃げる】を選択してこなかった(或いは選択ができなかった)過去があったからだ。"絶対に安全ではない居場所"に身を置いてきたから感じた痛みがあり、その痛みが俺の足を進めていた。

 

 

この環境に身を投じてきたのはいつだって俺だ。でもそれを辛いとも感じていた。この世のどこにも息を抜ける場所なんて無いと思っていたから。だからこそ秋田は俺にとって居心地が良かった。でもぬるま湯浸かりすぎていたままでは、俺が一番なりたい自分像には近づけない。火傷するくらいでないと駄目だった。三橋広希ではなくミツハシヒロキでいたい自分がいた。

 

 

帰りの新幹線を待つホームに雪が降り積もっていた。この街で会いたい人に会いに行くためには雪をかき分けていかなくてはいけない。会うために苦労をするからこそ、そこで渡したいのは下らない偏見やdisではなくお互いを暖め合う愛情なのだろう。大曲の花火が終わった後に観客と花火職人が色とりどりの光でお互いに感謝を伝え合っているのを観た。「秋田での最後のライブが観れないから」と俺の家までCDを買いに来た人がいた。一番長く過ごしたお店のママはお店のロゴが印字された帽子を俺にくれた。本当に欲しかったもの、そして俺がこれから返していかなきゃいけないものは全部ここにあった。

 

 

次に会う時はもっとデカい背中見せなきゃな、と新幹線に乗り込んだ。3時間後に降り立った東京は雪が積もっていなくて歩きやすかった。電車は30分で東京と最寄り駅を繋いだ。駅前のコンビニは20:00を過ぎても営業していた。あまりに便利すぎた。おまけにクリスマス一色の東京は家族連れやカップルが沢山歩いている。これでは折角もらった情熱や本当も小さくなってしまうかもしれない。誰かと比べてしまう自分にまた戻ってしまうかもしれない。折角ついた灯が弱々しくなってしまうかもしれない。

 

 

でもきっと大丈夫だ。

この灯が完全に消えてしまうことは絶対に無い。

2022/11/8

機材のことを考えていたらすっかり夜が更けていた。関東に戻ったらいち早く試奏して、必要なものを買ってしまいたい。そんなこんなで来月の今頃にはボーナスが出ている。今年はまあまあ働いたし、多めにもらいたい。今日ついに転職サイトに一つ登録してしまったが。

2022/11/7

腹痛に見舞われ帰ってからすぐに就寝。近頃は雨が続いている。湿度が高い地域だと聞いていたが、最近はそれを身をもって感じている。ビニール傘もボロボロになってきている。雪が本格的に降る前に千葉に帰れれば良いが、土曜には雪予報も。車間距離を多く確保する毎日です。

2022/11/6

昼頃に起きてやっていない家事を終えた。午後には電車に乗って秋田駅まで。エフェクターの試奏をしに行った。片道50分かけて試奏したエフェクターがあまり良くなくて凹んだ。先輩方にLINEをして相談。やっぱり試奏が必要だ、と結論が出た。帰りも片道50分。イラつきが頂点に達したのでビールを買って帰宅。帰ってからも色々調べたが、勢いで買わなくて本当によかった。千葉に帰ってからゆっくりと考えることにする。