2024/11/17

初めてコロナに罹患してしまった。ここまで一度もかかっていなかったのに、ツアファイを目前にしてまさかの感染。このまま一度も感染せずに乗り越えられたら、と思っていたが、現実はそう甘くなかった。熱は1日半ほどで良くなったが外出ができず、走り込みやらスタジオやら個人練やらに勤しむつもりだったものが全て崩れた。家で各種メンテナンスと家で出来る練習やらを詰め込んだ1週間だった。ライブも一つ見に行きたいものがあったが、断念。配信を購入した。明日はもう外出はしても良い様なのでまずは様子を見つつ走り込みから始める。ツアファイ、バタバタしているものの準備を進めているのでこれを読んでいる貴方も是非に。

 

 

そういえば楽しみにしていたBANGLANGの新譜が届いた。かなりいい感じ。北の大地から発せられた音楽は、どうしてこんなにも原風景が浮かぶような音像をしているのだろうか。ヒントやら光やらを感じながら届いた一枚を聴いている。日曜日。

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2024/11/10

既にツアファイを予約してくれてる人はそれまで元気で。迷ってる人は是非。俺も体調管理をきっちり行うのみだ。

 

こんな文章で前回の雑記を閉めた後にも関わらず、早速心身の調子を崩している。様々な不安や不満が身体を駆け巡って支配しているような、まるで自分の身体が自分のものでは無いかの様だ。鉛の様になった自分の身体から発せられた言葉や音が、すごく重さや中身の無いものになってしまったかの様にも思える。「伝わらない」のも「届かない」のも「無下に扱われる」のも全て俺の責任だ。実力不足。なんの実力なのかは果たして不明だが。だが、不明であることが、俺の浅はかさに繋がってしまっているのだろう、残念ながら。ずっと独りだし、きっとこれからも独りだ、唇を噛み締めた今年の誕生日。相変わらず同じことを考えて「痛み」を感じている。実力不足だ。実に足りてない。イカサマでも構わないし、嘘くさく思われても、と腹を括ってはいたものの、目の前が真っ暗になると、「"取るに足らない"だなんて名前でブログを作成した頃と何ら変わってない自分」に絶望する。賞賛はもはやいらないから、せめてこんな夜に暖かいお茶でも飲みながらゆっくり話をできたらどれだけ安らぐだろうか。いや、それすら甘えか。下らない、そして取るに足らない、今も昔もずっと。これからはどうだろうか、きっともう少しだけ上手くやれる。そう思うためにGoodbyeで「明日の僕らはきっと上手くやるから」と書いた。

2024/11/7 雑記

一昨日、自転車で派手に転んで擦りむいた傷が痛む。相当派手に転んだので傷もそれなりに派手だが、痛みよりこの年齢で派手な擦り傷を作ってしまったことへの恥ずかしさが勝る。雨の中で自転車は漕ぐものじゃない。にわか雨が滲んだアスファルトは黒く冷たかった。

 

 

急に寒くなってきて仕事を始める時の温かい紅茶がやけに沁みるようになった。職場のビルから汐留を見下ろしつつ紅茶を飲んでいると、日本人のほとんどがこの目に見える範囲に今いるんじゃないかと錯覚する。もちろんそんなはずはないのだが、今目に見える範囲にここ最近会えてないアイツが働いていたりして、と考えを巡らす。空気が澄み切る日も、雨降る日も、そこに息づいているかもしれない誰かの日常に想いを巡らす。東京に対する苦手意識は相変わらずあるけど、職場から見る景色とその時間は意外と好きだ。

 

 

ツアーも大詰めで残すはファイナルの新宿のみ。諸々準備やら走り込みやら日々行っている。出来るだけ多くの人に演奏を見てほしいし、出来るだけ良い演奏をしたい。思い返してみればツアー以外にもこの数ヶ月でいろんな現場を経験した。For reunionのツアータイトルの通り、出会ってきた人々や場所とは時間をかけてもまた会いに行きたい。そしてファイナルは関わってくれた人が「灯人をもっと見たい」になってくれるような一日になれば、と思う。

 

 

既にツアファイを予約してくれてる人はそれまで元気で。迷ってる人は是非。俺も体調管理をきっちり行うのみだ。

2024/10/13

友達と沢山話をしてやはり人間関係って難しいよなぁとか考えた今日。ただ友達が悲しいのは嫌だなーとか当たり前だけど考えて、でも具体的な解決策は無いけどまぁ飲みに行こうよとか話せる自分の神経が無神経だなとも思ったり。でも無神経でもその意味は後からきっと着いてくるものだ、と確信があるから逆に気にしてなかったり。改めて省みて気づく。そして友達や先輩や後輩に恵まれている自分を幸せだなーと最近は余計思う。誰にでも来る明日を最高なものに出来るための努力を少しづつしていこう、と深夜の秋風に当たりながら考えてみたり。雑記。

2024/10/08

あまり天気が良くない日も悪くない。そういえば最近「ポジティブな人って、悪いこともそれはそれとして楽しめるんですよ」と言われた。なるほど、と思う俺がポジティブなのかはわからないが、今は雨も悪くないと感じている。第一に雨が無いと野菜は育たないし、上手い米も食えない。そう考えたら、雨を悪いと捉えるのはそもそもお天道様に失礼か。スタート地点が間違っている。ポジティブへの道は果てしなく遠い。雨すげー。

果たして俺はポジティブに暮らしたいのだろうか?総武線の窓に映る自分に問いかけてみる。27年も人を続けていれば、ポジティブも、大きな幸せも、名声も、本当はあまり興味が無い気もしている。そんなことより、今は残りの人生で周りの人を出来るだけ喜ばせたいし、その先でみんなと最高な乾杯したい気持ちだ(それを幸せと呼ぶ?倖せ?Hivariのライブがまた見たい)。「せめて乾杯のために」って何だかかっこいい。最近ライブが多いからそんなことを思うのだろうか?かつては出来るだけ人様の迷惑にならないように、そして目立たないように暮らしていたことを考えれば随分とマシになった気もする。長生きはしなくていいから出来るだけ。「誰かが喜ぶ」の原点や理由を作りたい。その輪の中心でなくても良いから出来るだけ。

総武線を降りた。まだ雨が降っている。
でも、まぁ、うん。悪くない。

2024/9/15

何気なく放った言葉が時に誰かを傷つけたり救っていたりするのをずっと眺めてきた。時には自分ごとのように感じたり、逆に同じような言葉を自分なりの方法で投げてみたりもした。「当たったな」「大きく外れたな」「掠ったな」と投げるたびに思って、軌道を徐々に修正し続けた。この年齢になってもそれは続いている。昨日は荻窪の体育館で卓球をして、ラケットの向きや振り方を自然と変えている自分に対して、そんなことをふと考えてみたりもした。

 

 

昨晩の卓球の後はとある人と飲んでいて、俺の態度や言葉一つでその人を喜ばせ、怒らせて、悲しませてしまった。頭の中では相変わらず卓球ボールのラリーが続いていたけれど、ラケットの振り方や向きが同じでも、エモーショナルの部分(まさに言語化が難しい部分)で俺は目の前の人を追い詰めることも励ますこともできるのだなと感じた。(もちろんそれも傲慢であることは分かっている。)俺に足りてなくて、相手が求めているものを考えながら、総武線に乗った夕方。どうしたら伝わったんだろうか、どうしたら良かったんだろうとか考えていたら、イヤホンでWith A Splashが「今日みたいでいい また会おうってだけ言いたいんだ と思って」と歌っていた。「また会おう」って言えたらもっとみんなで笑い合える気もして、そしたらもっと最高なはずで。そのエモーショナルの伝え方をもっと考えたいと思った。ラケットの振り方も同じくらい大事だけど。