2022/1/27

ご飯やお風呂を家に帰ってからすぐにやると少し心に余裕ができる、という今日の気づき。普段はブログを書いたりしてから風呂に入っていたけど今日は逆をやってみた。意外と生まれる余裕。同じことをしているはずなのに。結局今日やらなきゃいけないことから埋めていかなくてはいけないのだな、とわかる。これも仕事をしていて学んだ。

 

新しい案件を今日は任された。

自分が「新人さん」と呼ばれるような立場には既にいないことを肌で感じている。

2022/1/26

つい夜更かしして音楽を聞いた。やる気しか出ない。何でも良いけど俺らしいってどんなだろう。自意識過剰だから友達や先輩や後輩から自分がどう見られているのか常に気になってしまっている。多分人によって全然違う答えが出ると思う。全員に聞いて周りたいが連続でdisを喰らうと起き上がれなくなりそうだから程々にしておく。

俺はあなたにとってどんな存在ですか?

 

追伸

mabutaの新譜が最高を更新しておりました。

open.spotify.com

2022/1/25

再会までは時間がかかるようだ。俺は俺のやるべきことをコツコツやっていかなきゃいけない。今日は灯人のスタジオだった。自分の気持ちいいところまでスタジオで行けた感じがある。やはり個人練は重要。もっと重ねればもっと良くなる。そしてライブもすればするほどよくなる。今回のライブでは披露しないが、早速面白いアレンジが思いついている。勢いで自分の内から出たものが一番いいに決まっている。頭使って考える音楽家の人々には頭が上がらないが俺はやっぱりバンドマン。最高なものは机上で生めない。

 

 

そして帰りを先輩に送ってもらっている最中。先輩の仕事の話を聞いた。人と関わる仕事をしている先輩。「毎日戦争だよ」と笑う先輩の目は、その"戦争"の先にある果てしなく穏やかな瞬間を見据えている様で、俺の周りには格好良い人たちしかいないと再確認。

 

 

良い夜だ。明日もきちんと起きる。仕事に行く。

だって俺には自分が思う格好良い人になるための資格と環境と責任があるから。

2022/1/24

職場もついに二重マスクが命じられた。不織布のマスクの上にウレタンマスクをつけろ、とのこと。人それぞれ、その人らしい色のマスクをつけていて面白かった。パーソナルカラー、というのが巷ではあるらしい。お洒落に生きるのにも選択肢が多すぎる。俺は相変わらずパーカーを着ている。「パーカー」のイントネーションが可笑しいと笑われたが、未だに納得がいってない。俺が正しいに決まってる。俺がルールだ。

2022/1/23

本音を言えば何だか無性に悲しくて泣いてしまいそうになる日もあって、そういう日に限って雨なんか降ってなくて、街を歩く人達の表情は希望を語っていて、意味もなく自分と誰かを比べて唇を噛み締めちゃったりする。そんな日はもうさっさと諦めてコンビニでパイの実を買って、家に帰って、手洗いうがいをいつもよりも入念にやって、一気にパイの実を食って、箱の隅に残っているパイのかけら一つも見逃さないように口の中に放り込む。そして風呂に入って、湯船の中で音が鳴るように意識しながら屁をこき、ブクブクと上がってきた泡が割れて臭えなと思いつつ、夕飯の後にはアイス食って、さっさと寝転んでラジオを聴く。どんな後ろめたさも許される場所がそこにはあって、「あー良かったー」なんて思いながら寝落ちしてしまえばいいのだ。

 

 

同じ痛みや寂しさ持ってる人がこんなに沢山いるはずなのにみんなそれを隠して上手にやってる。でもきっと隠しきれなくなる日もあるのに人前では溢れない様にしている。街中で立てなくなるくらい泣きたくなる日もみんな痛み隠して静かに笑ってる。だって戦いの中に身を投じたのはいつだって自分自身だから。逃げなかったのはいつだって自分自身だから。その表情筋を硬らせてなんとか乗り切った今日がいつかの明日の糧になりますように。あと数分で月曜。早く友達と大衆居酒屋行きたいね。

2022/1/22

先日のブログ、本当なら一番最初に「遅れてすみません」を書くべきだったが、言い訳を並べてしまい謝罪の言葉を一番最後に書くあたり逃げ癖のある俺らしいと今になって思った。修正することも出来たが戒めのためにそのまま残しておく。失礼しました。

 

 

先日の練習中にどうしても言葉が上手くメロディにハマってこなくて頭を抱えている時に思い出したことがある。いつかのライブの精算で言われたこと。

「ミツハシは空白を言葉で埋めようとしすぎだよ」

と言われた。音楽を作る上で空白や余白を恐れてしまう部分はあるかもしれないなぁとその時には思った。

昨日の練習でもまさに空白を埋めようとしすぎなのかもしれない、と感じ頭を振り切って考えてみた。少し光明が見えた気がした。

 

 

忙しそう、とよく言われる。学生時代のアルバイトでも「仕事中は忙しそうにしていて、退勤後は次の予定に向けてそそくさと帰っていきますよね」と高校生のバイトに言われた。学生時代に入っていたサークルの人たちにも「いつも忙しそうにしていて飲みに誘えない」と口を尖らせて言われた。今の職場でも「仕事に追われているねえ」と上司から笑われた。今だって「サラリーマンやりながらライブ活動をやってて忙しそう」と言われる。多分俺の要領の悪さや、人からの頼み事を断れなさや、予定の組み方の下手糞さや、捨てていいものを捨てきれないところが結果的にそうしているのだと思う。望んでこの状態になっているわけではないのだ。事実もっと沢山のものを捨てたら生きやすくなるし、一つに向き合えるのだろう。

 

 

しかし、常に忙しい状態にいたからこそ、沢山悩むことが出来たし出会えた人やものもあった。特にサラリーマンやりながら音楽をやる奇妙な生活を続けていなきゃ出逢えなかった人や景色がある。だから、真っ向から今までの自分を否定はしない。どれだけ「忙しそう」と言われても。

 

 

それに俺が「忙しそう」にしていても何とかやれている(何とかできた)のは間違いなく周りの人たちのお陰でもある。仕事後にライブをさせてくれたり、ご飯を作って洗濯をしてくれる母親がいたり、俺の「これやりたい」に多忙な中で予定を合わせて付き合ってくれる友達や先輩や後輩がいるからこそだ。俺の不器用さと周りの許容によって日々生かされている、と改めて感じている。

 

 

とはいえ余白を無くして体を壊すのはもう御免だ。もっと余白が欲しい。生活にも歌にも。

 

 

そんなことを考えながら帰った昨日の24:00すぎ。帰り道、普段なら賑やかなはずの行きつけのバーの前、無感情に下ろされたシャッターと「営業時間短縮のお知らせ」の張り紙が目に入る。鳩尾が痛くなった。金曜の24:00。歩いている人はまばらで、電気が消えた飲み屋街が息を潜めていた。やっぱり余白なんていらねえよ。明日には1万人超すらしいぜ。

余白だらけなのは考えものな気もした。

2022/1/21

遅い起床。もっと書きたいことがあったけど今夜書く。どうせ今日も明日も同じことを考えて同じことで悩むんだと思う。いつ書いても同じだ。最近は家に帰ってから風呂や飯やマスクを洗うことや、洗濯物を畳むのが面倒で気が滅入る。だから歯も磨かずに15分寝てしまう。15分が12時間になる。もっとちゃんとやらなきゃ、でも心が息切れしている。今日もきっと同じことで悩む。そういえば昨日このブログを読んでますと言ってくれたスタジオの受付の子がいた。感謝。こうやって読んでくれる人がいるならば、同じことで悩むのもやっぱり大概にしたい。良い大人だから。そうは言っても結局今夜またキーボードの前で頭を抱えながら長いことを書くだろうけど。遅れてごめんなさい。