思えば幼少期に誕生日を家族に祝ってもらった時からそうだった。誕生日ケーキを前に大泣きするミツハシ少年に周りは首を傾げた。暗がりの中、年齢の数だけ浮かぶ蝋燭の火に忌々しさや漠然とした不安を感じて、幼心にも産まれ落ちたことが腹立たしかった。今思えばその頃から恥の多い生涯を送ってきたのだ、間違いなく。
薄暗さには年々拍車をかけて、黒で塗り潰した歴史は重みを増し、だけど中身はスカスカのままで、毎度のことながら最悪な気持ちになる。本当に最悪な気持ちになる。半年前に呼んだオズワルドの伊藤さんのエッセイに出てきた言葉を借りるのならば、"生きていける"状態ではある。ただ決して"生きている"訳ではなくて、"生きていたい"訳でもない。"死んでもいい"なぁとは良く思うが、"死ぬ"理由や行動に移す勇気が無いから、こんなに中途半端なまま26年という歳月を重ねてしまった。そしてその歳月はただただ最悪を更新しただけだった。だから君はいなくなったのか、といつかの誰かに問いかけることすらも無くなった。中途半端なままだ。
この前のライブの帰りの朝方、こんな体たらくは電車に乗る資格が無いと決めつけて、一人で歩いて帰った。勝田台の手前あたりで気がついたら路上で蹲っていて、号泣とも嗚咽とも嘔吐にもならない声のない叫びが身体中から出ているのに気がついた。脆かった。惨めだった。通りがかった車に心配をされてしまった。車から出てきた女性は『おばちゃんも親と縁切った時は本当に死んでやろうと思ったし、今でもそう思うことがあるよ。だけどここまできちんと生きてるんだよ。』と。『おばちゃんに出来ることは何かあるかい?』と聞かれたが、「ありがとう、あとごめんおばちゃん、ただ俺はきちんと帰らなきゃいけないんだ」と伝えて立ち上がった。そこから何メートルか歩いたけれど、途中で力尽きてまた座り込んでしまい、昼頃に電車に乗って家路に着いた。惨めだった。自分で決めたことすら守れていない、この年齢にもなって。
やはり上手くいかなくて、やはり独りで、やはり夜は惨めで、やはり朝は残酷で、それでもこの心臓は止まってくれそうになくて、止める気概も無くて、何度も鏡の前で自分の顔を赤くなるまで殴ることしかできなかった。助けてくれ!と声高々に言う勇気も無いし、人前ではうまく笑えも怒りも泣きも出来なかった。先日のカウンセリングでカウンセラーから「私の目標は三橋さんがうまく泣けるようになることなんですよね」と言われた。改めて(今更になって)気づいたが、泣きたい時に泣けることは強さだ。そういう意味ではめっぽう弱い。"そういう意味では"とか俺の場合はいらないか。かっこわら。
価値が無い、俺には何も無い、と何度も吐きだした。それすらも無くなった。なあ、俺よ。君は君で居てくれればそれでいいんだよ、と言われることを求めるな。愛されるとは一生思うな。優しさなんて求めるな。お前はずっと孤独だ。悲しいがそれはずっとだ。最悪は一生だ。最低も一生だ。自分の脚で立とう。何度目かの決意と失望だ。『おめでとう』は求めるな。ここまで生きたことと生きていくことを恥じろ。 燃えカスになった自分をただただ太字で書くための今日を続けていくんだ。その身体一つで太くあれ。だから朝になれば俺は仕事に行く。
恥の多い生涯を送ってきた。もう少しだけ送ってみる。
P.S.
これを書いたのは4/29だが、書いた後ボイトレに行き、その後はライブを観に行った。どちらも良い時間だった。きちんとやれてる、多分。