20200531

気がつけば23歳になってもう一ヶ月経っていた。

 

世間も人も場所も状況という状況が目まぐるしく変わっている数ヶ月間だった。2月の途中から沸々と感じていた体の不調を放置し、学生生活4年間で堕落しきった生活を続けていたら、3月に足がかかったタイミングでついに僕は体を壊した。コロナウイルスが原因ではないことが唯一の救いだったが、コロナウイルスが蔓延して世の中が少しずつ狂っていくのと同時に僕も寝込んで家から出られなくなった。3月のライブも延期した。その振替公演も自ら辞退することになった。卒業式や、大学のサークルのライブも全て無くなり大学生の皮を捨てきれないまま3月はダラリと流れた。

世界にウイルスが蔓延して色々な物事や仕組みが変わっていってるのを実家の6畳の部屋でスマートフォンという窓だけを使って眺めていた。同じ時間が流れているはずなのにどこか取り残されているようで不思議な感覚だった。しかし確実に時間は僕を先へ先へと運んでいきいつの間にか4月になった。僕は体を本調子、とまでは行かないが辛うじて動けるようにはなっていたので、時間が運ぶままに大学生を脱皮できないでいる体にネクタイを強く締めるようになった。スーツの下で渦巻く学生時代の痛み、悔しさ、妬みは今も捨てきれないでいる。

 

4月。元々人見知りで集団行動に難を感じる性格故にストレスも感じていた。あまりストレスを感じるとまた体を本格的に壊すのでとにかく睡眠と食事はしっかりとった。お陰様で体の調子は少しずつよくなった。時々去年の春に出会い、手を離した人達を思い出したりもした。思い出す度に胸の奥で小さく疼く日々を一年経った今は少しだけ愛しく思える。気がする。

 

緊急事態宣言が発令された。僕はまた3月と同じようにiPhoneの画面の中から世の中を覗き込むようになった。スタジオに行こうとする俺は親と衝突し、1人で泣いた。今考えれば幼稚だった。でも何よりも何も出来ないことが悔しかった。スタジオも入れず3月の振替公演も出演辞退した。先輩に出演辞退を伝えた時の「またライブハウスで!」という言葉が印象的だった。また、がいつになるのか段々とわからなくなった。iPhoneの画面の中でライブハウスやスタジオが悲鳴を上げ始めた。緊急事態宣言が出されてからは3月の時と同じく世間に切り離された感覚がしていたが、この時は違った。これまでの自分を作り上げてきた場所や人が危機に瀕しているのだ。何もできないのが悔しかった。悔しかった。辛かった。少しでも、と思いライブハウスがやるクラウドファンディングには出来るだけ参加した。

今できることをやろう、と決めたのが確か4月の中旬。体を整えよう。音楽理論を学ぼう。DTMをやろう。やりたかったことに取り組むことを決めた。しかし、世間が自粛を重ねて鬱屈とした雰囲気が漂い続けていくにつれて、どうにも物事に取り組めなくなった。深夜ラジオを聴く回数が増えた。ラジオだけが僕と世間を繋ぎ止めた。今考えると本当は体が本調子ではなかったのかもしれない。

 

23歳になった。先輩と友人がケーキを送ってくれた。今年から特にSNSで自分の誕生日を報告するのをやめた。もちろんご時世という事もあるが、誕生日を「自分で」祝ってもらうことで承認欲求を満たしている自分を何故か醜く思えてしまったからだ(これは誰かを批判、否定しているわけではない)。どうにもこうにも批判されること、否定されることから逃げ続けて、人の視線を気にしていく日々の果てにこんな陳腐なことを気にするようになるとは。自分でも笑えてくる。何かを否定して「間違えないように」日々を過ごしてどこにも幸せなんてはなかった。否定されたくないなら誰かを否定しないことから始めなきゃいけないとその時やっと気づいた。

今年はあいつからの連絡はなかった。だからこそ。だからこそ、今年連絡をくれた先輩と友達、バンドメンバーには感謝している。本当に大切にしたいと思った。いや、しなきゃいけないと強く思った。23歳初日が終わる頃、来るはずもない連絡を待ち続けている携帯を抱きしめ少しだけ泣いた。

 

ゴールデンウィークに初めて散歩をした。一人ぼっちで住み慣れた街を歩いた。初めて出来た彼女や、一晩だけの関係にしてしまったあの子や、中学生の頃に仲良くしていた友達や、初恋のあの人のことをたくさん思い出した。公園で遊んでいた子供達、僕が彼らと同じ年齢だった時に見えなかったものが今の僕には見えている。そして、それと同時に僕が今は見えなくなってしまったものを彼らには鮮明に見えているのだろうか。仲間外れになりたくないから公園に来たものの、周りの正解に自分の正解を置きに行って引きつった笑いを浮かべているブランコの横の君。君と僕は気が合いそうだ。

ウイルスが依然猛威を振るう中、それとは関係なく人や建物、景色が変わっている住み慣れた街を何度も歩いて、自分の現在地点を確かめた。今も土日は2時間近く歩いている。

 

ゴールデンウィーク中盤からから仕事に関する勉強をしたり、DTMをたまにいじったり、ギターを久々に弾いたり、ラジオを聴いて眠りについたり、と少しずつ自分の生活が前を向き始めた。ライブハウスやスタジオもクラウドファンディングや配信技術を高めることで少しずつ前を向いていた。鬱屈としていた世間だが自分に流れる血は熱量を持ち始めていた。音楽も実はしばらく聴けないでいたが、ライブハウスから配信されるライブを見ることや、過去のライブ映像を見ることで少しずつ昔の自分を取り戻していった。進む距離は短かったがとにかく毎日を生きていた。

 

気がつけば23歳になってもう一ヶ月経っていた。

 

緊急事態宣言は解けた。久々にサンストの店長、シラハタさんから電話。近況報告をしているうちに、自分の中でこの数ヶ月していた緊張が溶けて駐輪場で泣きそうになった。毎日上手く生きている気がしたけど実は心の奥で色々なものを噛み締めていたみたいだ。シラハタさんは真っ直ぐ話を聴いてくれたし、率直に意見を言ってくれた。「おつかれ!どうしてる?」から始まった連絡一つで僕の視線は簡単に前を向いた。

 

新曲を作り始めた。歌詞は昔のようにノートに書いて作っていくことにした。今はとにかくやりたい。

 

 

 

6月に弾き語りで一本やることになりそうだ