相手の気持ちになって考えなさい、と散々言われてきた。言われる度に「相手の気持ちになって考えた結果が全くの見当違いだったらどうすればいいのだろう」と思って口を尖らせていた。しかしながら、何に置いても「相手の気持ちになる」のはが大事なことで、同時に俺にとって一番苦手なことでもある。どう足掻いてもその人の立ち位置で考えている様で、いつの間にか自分の立ち位置に戻ってきている感覚がずっとある。結局は他人のフィルターを通して自分を見ているだけ。どうしても他人のこと、言ってしまえば貴方のこともわからないし、経験則で自分以外の誰かの思いを察している。感じ取っている。相変わらず検索履歴に残った「対人関係 うまくいく方法」を消す日々。
最近は自分のことすらわからない。忖度やお世辞の類に慣れすぎた。いつの間にか本当の気持ちに気づけないまま、本当の気持ちも言えないまま死んでいくのだろうか。身長が高くなくても、お金持ちじゃなくても、広い部屋に住んでいなくても、誰もが羨む様な美女と付き合っていなくても、広い人脈を持っていなくても。本当のことが言えれば、本当の気持ちで接することができるのならば。それでよかったはず。いつの間にかわからなくなった"本当”を探している。どんな人や物事やしがらみよりもずっとそばにいるのに。気がつけば見えなくなった。
ノイズに塗れた現在地。"閉塞感"なんて漢字3文字ですら表現し難い今日。