2023/12/25

いつまで自分を責めれば良いのだろうか。いつになったら俺は俺を許せるのだろうか。

散々「誰かに寄り添う」音楽、演者、発信諸々に中指を立ててきた。どうしても理解できなかったし、それが体の良いフェイクのように感じていた。先日の友人の結婚式に出席したとき。愛した人と手をとりあって歩き出す二人がとても美しかった。そして二人の未来を見守ろうとする、俺含めた彼と彼女の友人或いは親族の空間がとても愛おしかった。あの空間をなぜあそこまで愛おしく感じたのか。何度も考えた。その繰り返しの中で今までの自分の考えが間違っていた、というよりも虚勢を張っている自分が見え隠れしていることに薄々気が付く。打ち上げ終わり、冷え込んだ12月の朝方の池袋に、いつかの自分とアイツが手を繋いで歩いているのを見た気がしたとき。昨日、折角してくれた相談に対して上手く言葉が出なくて無力さを感じたとき。そして今日BUMP OF CHICKENの『話がしたいよ』を改めて聞いたとき。やっと気づく。俺は「誰かに寄り添う」何かに対して中指を立てていたのではなく、今の今までずっと「大切な何かに寄り添いたくて上手く寄り添えなかった自分」に対して中指を立てていた。何も理解できていなくて、何よりもフェイクだったのは自分だった。自分ができないことに対して虚勢を張っていた大馬鹿野郎。自分で立てた中指のせいで「君の味方である」と胸を張って言えない本当の阿呆。本当は誰よりも誰かの光でありたかったし、ただ「最近どう?」から話し始めるようなそんな関係でいたかったのに、一体いつから俺は何を間違えたのだろうか。自分を許さないと、他の誰も許せない。認められない。だから今日でやめる。話がしたいよ、と歌う唄を聴きながら今日流した涙は、これまでの無力をただ後悔する涙ではなく、すぐ先の未来で間違いなく誰かの手を温めるために必要な涙だ。

 

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