昨日書き忘れたことで、CDという媒体は本当にワクワクする。再生するまでの間どんなものが聞けるのかわからないし、やっと再生して聴けたそれが自分にとって良いものでもあまり良くないものでもCDとして買った以上は最後まで再生するからだ。最初の数曲聞いてあんまりでも最後の方に自分に電撃が走る瞬間があるかもしれない。もちろん無い可能性もある。その「CDを選択して買って家に帰って聴く」までのプロセスが自分の中で大切だった。
もちろんそれはサブスクでも簡単にできるけど。
そうか。
無料で、簡単に手に入ったものには有り難みを感じないのか。
俺にとってはやはりあの面倒なプロセスが重要だ。
あとデータではなくモノで手に入れると失う心配が無い。
CDを再生できる機械がある限り本棚にあるCD達は永遠に俺の人生を照らしてくれる。
突然話は変わるが、最近映画を倍速で見る人が若者に多くいることを知った。
どうやら周りの人に置いていかれないように、話題を合わせられるように倍速で見るらしい。また、ファスト映画なるものも流行っていると知った。簡単に言えば映画の内容を映像付きで短く要約してまとめた動画らしい(そしてそのファスト映画を作っていた人達は逮捕されたとか)。
どうしてそこまでして周りの人に合わせなくてはいけないのだろうか。
流行りの音楽を誰かが作ったプレイリストでチェックして。
有名な映画は倍速で内容だけ理解して。
俺たちは何のために作品を鑑賞しているのだろうか。ひょっとしたらプレイリストに入っていないカップリング曲が宝物みたいな一曲になるかもしれないのに。ひょっとしたらその映画の男女がただ向き合って沈黙している瞬間が自分達とリンクするかもしれないのに。
人生は要約できるものではないのに。
俺は二日酔いで昼過ぎに起きて安いカップラーメンをアイスコーヒーで流し込む瞬間にも意味があるように思える。俺の自伝映画があるならアイスコーヒーで咽せてブラックアウトしたところにエンドロールを流したい。
さすがに格好がつかないだろうか。
「みんな違って、みんないい」はずのこの国で、俺たちはこんなにも「自分だけが違う」ことを忌み嫌っている。